TEXT

2017・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 妹島和世論、7年かけて本になる 

 修士論文で妹島和世について書いたのが7年前、ついに本になって、NTT出版より2017年3/24発売です。そもそもなぜ書いたのかと言えば、妹島和世の作品分析をしたかったからではなく、「いったい自分は建築史のなかのどこを生きているんだろう?という私自身の率直でありふれた疑問について考えたかったからです。なのでこの本は、私の時代に否応無しに君臨した妹島和世という存在を梃子の支点として、1975年以降という新しい時代の建築史を描いたり、時にはもっと古い話題にまでアクセスしています。そして、先の問いに一定の答えを出しています。それは磯崎新が『日本建築思想史』で妹島和世を取り上げながらも、その正体を一切掴めていなかったことに対する、勝手な回答のようなものです。
特にすべての建築学生、すべての30代以下の若い建築家に読んでもらいたい、そして同じ時代を生きる者として何かを一緒に考えていきたいと、強く思っています。[2017.3.19]


『妹島和世論 マキシマル・アーキテクチャーⅠ』

 NTT出版
 Amazonはこちらより → http://amzn.asia/aNM5HFO 








2015・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 正しい誤読法 

 多木浩二の『生きられた家』について、10+1に書評を書いたのが2011年。読み返して、うわぁ・・・と思ったので、全面的に書き直した。どんなテクストでもそうだけど、テクストを自分の読みたいように読む(とくに、何かに反論したくて、その論拠を探す)のではなくて、すこし離れた位置から、自分の利害を無視して工学的に翻訳するという読書法は、間違いを起こしにくい。[2015.12.26]


『建築家の読書塾』

 みすず書房 http://www.msz.co.jp/book/detail/07959.html 
 







2014・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 図義通りの建築 コールハース・妹島・青木・藤本

 レム・コールハースについての評論集が出るということで、日本の建築家への影響という観点から、「図式」について書いた。コールハースといえば常に議論を巻き起こす理論派なので、難しい・とっつきにくいという印象を受ける人も多いと思う。きっとこの評論集も難しい言葉が飛び交うことが予想されたので、僕は逆を行こうと思った。つまり、レム・コールハースほど建築を単純にした男はいない、という立場である。コールハースといえば図式、でも図式って猿でも描けるよねっていう話。[2014.6.13]

『レム・コールハースは何を変えたのか』

 鹿島出版会 http://www.kajima-publishing.co.jp/ 







2014・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「いまさらの上海世博」を楽しむ

 中国・上海に2013年5月から2014年3月末まで、およそ11ヶ月滞在した。4月1日に久しぶりの実家に戻り、あっという間だったなーと一息つくと、食卓の上に『ねもはEXTRA 中国当代建築』が届いていた。行く前に読みたかった。「お前が昨日までいた国は、こういうところだったんだよ。無為に過ごしてた?そうかそうか、それは残念」と言われた気分だ。とにかく、中国建築に興味ある人はマストバイである。たまたま上海に滞在していたため、僕もちょっとしたコラムを書かせてもらった。ガッツリ中国&建築な一冊のちょうど真ん中あたりで、クールダウン用に読んでもらえればいいな。他の内容が濃密なので。[2014.5.2]

『ねもはEXTRA 中国当代建築』

 建築雑誌ねもは http://nemoha.blog.fc2.com/
 市川紘司さん ARTiTブログ http://aar.art-it.asia/u/feature5/







2013・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「ブロックの街」

 『ニコちく』という出るべくして出たな!という評論集に、マインクラフトと建築をめぐるストーリーを書いた。僕自身マインクラフトにハマって睡眠時間を削っていたぐらいなので、それはもう喜んで書いた。内容は、レンガ職人の主人公が自らの生きる世界の根源に触れ、そして……みたいな物語で、「DIY(日曜大工)」と「ブロック」をテーマにしたつもりだった。でも、物語形式のものを書くようになったのは最近のことで、まだどう書いたらいいかよくわからないで試運転している状態。この時の文章も、(論ではないけど)論点がぼんやりしていて、うまくいったとは言えない。「ブロックの街」はブラッシュアップして、また別の機会に発表しようと思う。[2013.9.8]


『ニコちく―ニコニコ建築の幻像学』


 集合欲研究会 http://nicochiku.wordpress.com/
 表紙絵:ta2nbさん http://blog.ta2nb.main.jp/







2012・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「ミクと建築のミライ」

 初音ミクについて書いていたら、初音ミクについて書いてほしいという話が来た。やっぱり好きなものについて書いていると、好きが伝わって仕事がやってくるというのは真理だ。巻頭のたったの500字なので論でも何でもないけれど、(建築知識という専門誌が突如アニメ路線に突っ走ったということも含めて)注目度は高く、少なくない人に変な人認定された可能性がある。ただ、個人的にはiXimaさんの超美麗イラストとコラボできただけで冥利に尽きるという気分だ。
[2013.9.13]


『建築知識 2012年9月号』

 建築知識 http://www.xknowledge.co.jp/_kenchi/kenchi_index
 表紙絵:iXimaさん http://satelloon.com/
 関連記事:たまごまごさん http://news.nicovideo.jp/watch/nw375623





2011・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「SANAA人間の誕生と変容 ー気体が固体にかわるまで」

 SANAA人間とは、僕が学生だった頃すごく流行っていた人を表す添景のこと。妹島和世+西沢立衛(SANAA)の図面に用いられている人なのだが、あの頃はどこからかっぱらってきたのか、AIデータを持っている学生がたくさんいた。それはもう流行ってました。そのSANAA人間をいきものと考えて、どうやって発生・進化してきたのかという「添景生物学」を書いた。[2013.9.13]


『ねもは02+』

 建築雑誌ねもは http://nemoha.blog.fc2.com/
 







2011・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「大衆のための建築 多木浩二『生きられた家』書評

 1976年に書かれた必読書、『生きられた家』の書評を書いた。この年はLATsという硬派で非モテで楽しい読書会が、難波和彦先生の自宅兼オフィスで開催されていた。僕が担当したのが『生きられた家』で、そのときのレジュメをもとにして書いたのが、10+1のウェブサイトに掲載されている。ちょうど多木浩二が亡くなった年。しかし、、、この書評は良くない。タイトルの「大衆」というところからしてOMA論の流れに引っ張られていて、というかきょうび「大衆」はねぇだろ、と今となっては思う。確かに自分の興味の一部は見え隠れするけど、全体的に無理してる感がある文章になっております。[2013.9.13]

http://10plus1.jp/monthly/2011/06/lats05.php


2011・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「生きられたユニットモジュール」

 保坂陽一郎の「南柏の家」という1961年の作品(自邸)を見学して、考えたことを文章にした。事前に見た竣工当時の写真には、爽やかなキンベル美術館のような住宅と、奥様と思わしき女性、窓辺に立て掛けられたヴァイオリン。これは高原の別荘のような気持ちのいい家だ、と思って訪問したのだが、そこにあったのは50年「生きられた」家だった。築50年だし、建築家夫妻の人生50年が蓄積された空間は重い。多木浩二の言っていることは本当だと思った。そして、なかなか複雑な気持ちになった。[2013.9.13]


『住宅特集2011年4月号

 住宅特集 http://www.japan-architect.co.jp/jp/
 保坂陽一郎建築研究所 http://www.hosaka-aa.co.jp/







2011・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「建築の「多様性」と「多様」」

 吉田研介の「チキン・ハウス」という作品(これも自邸)を見学して考えたことを書いた。吉田さんは何と言ってもコラムが超おもしろい。建築の話題から政治、世相まで、気になったことはなんでも取り上げて、言いたいことをザクザク言っていく。これだけ書いている人と書かれた文字の距離が近い文章は滅多にお目にかかれるものではない。こういう文章はひとつの理想だ。その吉田さんの自邸は、彼の作品やコラム同様、とても「多様」で面白かった。「多様性」があるのではなく、「多様」。その微妙な言葉の違いについて考えた。[2013.9.13]


『住宅特集2011年4月号

 住宅特集 http://www.japan-architect.co.jp/jp/
 吉田研介建築設計室 http://chicken-house.jp/
  吉田さんのコラム http://chicken-house.jp/column/






2011・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「妹島和世はどこから来たのか?」

 妹島和世論の骨子をはじめて日本の媒体に書いた。せんだいスクール・オブ・デザインの五十嵐スタジオの成果物である、『S-meme』というおもしろい試み。[2013.9.13]


『S-meme 01

 S-meme http://sendaischoolofdesign.jp/archives/2370








2010・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「Where did Kazuyo Sejima come from?」

 はじめて自分の文章がどこかの媒体に載った、というのがドイツの建築雑誌だった。書いたものは英訳され、その後ドイツ語訳された模様。短いコラム程度で、内容は妹島和世論のイントロ。一体どのように翻訳され、誰が読んで、何を思ったのか。すべてはドイツの深い森のなか。[2013.9.13]


『Bauwelt

 Bauwelt http://www.bauwelt.de/cms/bauwelt-index.html







2010・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「ル・コルビュジエの尺度」

 上でいきなり嘘をつきました。大学の研究室時代の記録に、卒論「ル・コルビュジエの尺度」の簡単なまとめと、その他2つほど文章を書いていた。改めて思えば、7年前に書いた卒論までもが、こうして何らかの形で出版されている。とても幸運だ。[2013.11.23]



『東京大学建築学科難波研究室活動前記録

 難波和彦 http://www.kai-workshop.com/

0 件のコメント :

コメントを投稿