2015/02/22

リズム考(5) 小池理論の5連符、7連符

さて、短歌のリズムについて四拍子説が怪しいことは、前回いろいろな歌人の朗読を聞くことで確信に変わった。
しかし、「元来、日本語には絶対的な時間の尺度たるリズムなど始めからない。人それぞれ歌い方は違うものであり、数値化・定式化できない「ナマ」感がある。その定式化できなさ、揺らぎこそが日本、ひいては東洋の美であり、西洋人とは違う我が国固有の文化……」とか言い始める人は信用しないことにしている。


「現代短歌朗読集成」にも収録されている小池光(1947年生まれ)は、物理出身の歌人である。小池氏は理系らしく短歌のリズム分析を試み、四拍子説とは全く異なる独自の理論を打ち立てている。


「どのような定型であっても、必ず五音句と七音句を同一の時間幅で読む。(略)五七五七七である短歌は緩急緩急急という読み方が指定されているのである。定型は五とか七とかの数字が本質なのではなく、テンポの緩急が本質なのだ」


小池氏の理論の核心は、同じ時間で5文字読むか7文字読むかによって緩急が生まれ、それが短歌の音楽性=韻律を支えているという説である。例えば1秒に5文字読み、次の1秒に7文字読むとする。すると、7文字のほうは5文字に比べて早口でまくし立てるように読まなくてはいけない。これによって五七五七七は「ゆっくり、早口、ゆっくり、早口、早口」=「緩急緩急急」の歌になる。音楽的に言うと、一拍5連、一拍7連の組み合わせ、つまり、

5連符+7連符+5連符+7連符+7連符

である。四拍子説のときの表記と全く異なる書き方をしたが、そうするしかない。というのもこちらは同一時間をいくつで割るかという「割り算の世界」であり、ワードやメモパッドの文章では表現できないのである。 では実際に聞いてみよう。




聴いていると普通じゃん!という読みが過半なのだが、小池理論どおりに読んでいるものがあってとても興味深い。まずはこれに注目してほしい。


(動画の1:36~)
たづたづとこどもが弾けるバッハさへ ある時海のごとく深しも
5連+7連+5連/4連+6連+4連


下の句の分節がイレギュラーだが、たしかに同一時間を5で割ったり7で割ったり、4で割ったり6で割ったりしている。緩急をつけた小池氏自身の理論通りの読みである。

短歌界では「破調」(=文字数や句切れの乱れ)が議論になることが多い。定形をどこまで崩していいか、という話である。これについて小池氏は、「緩急緩急急」が守られていれば短歌の歌としての調べは崩れないと考える。よって七が九になっても、十以上に増音しても大きく崩れることはないと考えるが、逆に減音に関しては厳しい。七が減っていくと五と差別がつかなくなって緩急がなくなるし、五が四になるとあまりに遅くなるからだ。同一時間幅で読む4文字と7文字では、緩急がつきすぎて歌が止まってしまうということである。(特に三句減音は禁じ手だと主張している。)
もうひとついってみよう。


(動画の2:51~)
ヨーゼフ・ゲッペルス六人の愛児をみちづれに死にしおもほゆ
ヨゼフ!/5連+6連+4連+5連+4連/おもほゆ


こちらは出だしのインパクトと最後の余韻の部分を除いて、「ゲッペルス~死にし」までが小池理論と照合しやすい。「ゲッペルス/ろっくにんの/あいじを/みちづれに/しにし・」という感じ。まぁ、これが厳密かと問うことはやめてほしい。そんなことより、ここで言いたいのは、小池光の読みがもはやヒップホップにおけるラップと寸分違わないのではないか、ということである。

この話のつづきは次回だが、ひとつ紹介。ここまで書いてきたところで、ほとんど同じ興味によって書かれたブログを発見した。
短歌を詠む人らしく、四拍子説だと強制的に初句切れ・三句切れに誘導されてしまうことに不満を述べている。面白い。


ついでのついで。 ちなみに短歌は、もともと長歌=「五七、五七、五七…繰り返す…五七、七。」の最後の部分だった「五七、五七、七。」だけを取り出したものである。長歌のほうが歴史は古いのだが、『古今和歌集』の頃には廃れ、かわりに短歌が主役になったらしい。よって、短歌とは本来「五七五七、七。」であり、現在多く見られるような「五七五、七七。」ではないのである。これについて小池氏は、息継ぎの問題で切れ目が変わった、そしてこれによって非対称性が生まれ、より豊かな表現が可能になったと述べている。「五七五七、七。」だと前半部分は対句的なイメージに引っ張られるが、「五七五、七七。」だと自由さがある、というのは確かに頷ける。

リズム考(6)へ。


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