リズム考(1) 別宮はBeckだった問題

五七五七七は四拍子だと思っていた時代が私にもありました。

……と書くと、まるで小さいころから短歌や日本語のリズムについて考えてきたかのようだが、このことについて意識的に考えたのはここ1ヶ月のことである。
もっとも、五七五七七が四拍子だというのは本当に昔から思っていて、例えば「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」(古今和歌集)を朗読するとき、私は自然と

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あききぬと◯◯◯
◯めにはさやかに
みえねども◯◯◯
◯かぜのおとにぞ
おどろかれぬる◯ (◯は休符)

と、「五+三」「七+一」「五+三」「七+一」「七+一」=「八」✕5小節のリズムで声に出す。(七の部分の一は、語が4文字か3文字かによって、頭に来るか尻に来るか決まる)
高校の授業の記憶か、テレビの記憶かわからないが、五七五七七を脳内再生すると四拍子になるのだ。そういうもんなんだ、人間にとって自然なリズムだし、きっと他の人も同じように読むだろう、と思って今日まで生きてきた。
……しかし、真面目に考え出すと、なぜ四拍子で読むのか、四拍子が自然というのは嘘なんじゃないかと思うようになった。

五七五七七は四拍子で読む。みんなそうだよね?と思って調べると、やっぱりというか、堂々とあった。別宮貞徳という学者が、1977年に『日本語のリズム――四拍子文化論』で全く同じことを書いていたのである。すごい。日本語が四拍子だと言い切っている。
さて、私はこの本を読んでいないが、何より気になったのは、「別宮」の読みが「べつのみや」ではなく「ベック」だということである。ベック…Beck…ミッドナイト・ヴァルチャーズ。そんなお洒落な苗字で日本文化論を書いているのかこの人は。
もし、べつのみや氏が「大和言葉は四拍子にてありけむ」と言ったなら、私もそうかと有難く受け取る。だが、Beck氏が「Japanese Language is 4-byoushi, haha!」と言ったのではちょっと話が変わってくる。どことなく四拍子に胡散臭さを感じ始めていた私は、このことに何か予感めいたものを感じた。
私はWikipediaで別宮貞徳を調べてみた。すると、追い打ちを掛けるように、別宮氏は英文学者・翻訳家で、兄はクラシック音楽の著名な作曲家だという。なんと。別宮=Beckだという当て擦りは、案外悪ふざけではなく、当たりかもしれない。だって、日本語四拍子説の総本山が、西欧文化どっぷりのBeck氏なのだから。
いまや私はこう考えざるを得ない。本当に日本語は古来より四拍子なのか、それとも西欧文化が日本語を四拍子に変えた上でその事実を忘れ、あたかも最初から四拍子が刻み込まれていたかのように装っているだけなのか。この別宮=Beck問題から、リズムについての冒険が始まった。


いきなり著作も読まず人の名前で遊ぶという失礼さである。
いや、本当は別宮なんて苗字、うらやましい。かっこいいじゃん。
名前話が出たので寄り道すると、「秋来ぬと…」の作者は藤原敏行である。「さん」をつけて呼ぶと「藤原敏行さん」になり、完全に現代人になるという、名前というものの変わらなさも味わい深い。
藤原敏行さん、907年、もしくは901年にこの世を去った歌人である。

リズム考(2)へ。



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